福岡地方裁判所 平成2年(行ウ)22号 判決 1992年1月30日
福岡県春日市春日原東町三丁目三五番地
原告
久保信一郎
右訴訟代理人弁護士
日野孝俊
同
加藤達夫
同
入屋秀夫
同
岡崎信介
福岡県筑紫野市大字二日市七〇八番地五号
被告
筑紫税務署長 伊豆一夫
右指定代理人
福田孝昭
同
坂井正生
同
木原純夫
同
樋口貞文
同
白濱孝英
同
荒津恵次
主文
一 被告が原告に対し、昭和六三年三月一〇日付けで原告の昭和六〇年分所得税についてした更正及び右更正に伴う過少申告加算税の賦課決定、並びに純損失の繰戻し還付請求に理由がない旨の通知を、いずれも取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の事実上の主張
一 請求原因
1 本件課税の経緯等
原告は、熊本市で産婦人科医院を開業する青色申告者であったが、原告は、昭和六〇年分の所得税について、別表1の1、2記載のとおり、損失の確定申告(以下「本件確定申告」という。)及び純損失の繰戻しによる所得税の還付請求(以下「本件還付請求」という。)をしたところ、これに対して、被告は、同表3、4に記載のとおりの更正、過少申告加算税の賦課決定をするとともに、右還付請求について昭和六三年三月一〇日、「昭和六〇年分の純損失の繰戻しによる所得税の還付について、還付すべき理由がない。」旨の通知をした(以下、「本件更正」、「本件賦課決定」、「本件通知」とそれぞれいう。)。これに対して、原告は、同年五月六日に異議申立てをし、これにつき、被告は、平成元年二月一日棄却する旨の決定をし、更に原告がした審査請求に対して、福岡国税不服審判所長は、平成二年四月二七日これを棄却する裁決をした(同年五月一二日送達)。右における原・被告の各計算根基は、別表2のとおりである。
2 本件各処分の違法事由
被告のした本件更正は、以下に延べるとおり、違法であり、本件賦課決定及び本件通知は、本件更正を前提としてなされたものであるから、これも違法である。
(一) 原告が昭和五九年一二月に株式会社富永建設(以下「富永建設」という。)に支払った二九六五万円については、原告が経営する医院の改装工事「請負代金の前渡金」として支払われたものであり、その後の昭和六〇年九月ころ、富永建設は右工事を完成しないまま倒産し、右前渡金は回収不能となったのであるから、原告が富永建設に交付した金員のうち、その五〇パーセントに相当する部分は、事業所得に係る必要経費として債権償却特別勘定に繰り入れられるべきである(所得税法五一条二項、所得税基本通達五一-一九参照。)のに、被告は、原告から富永建設に交付された右金員は原告の富永建設に対する「貸付金」であるとして、これを必要経費に算入することを否認した。
更に、原告は、確定申告において、支払利息を三九三万六六九三円と申告したところ、被告は、そのうち二一七万八四九一円は、原告が富永建設への右貸付金に充てるため株式会社熊本相互銀行から借り入れた三〇〇〇万円に対する支払利息であるとして、必要経費への算入を否認した。
(二) 原告は、更に右申告において、必要経費として有限会社平安ビル(以下「平安ビル」という。)に対して昭和六〇年中に支払った家賃九二四万円を計上申告した。同ビルには原告及びその家族の居住用として使用する部分もあったが、同部分は、同ビル会社代表者が原告の妻の父であったため、同人から無料で使用を許容されていたものである。そのため、右申告においては、同部分に相当する賃料は必要経費に含めずに申告したもので、その申告額全額が医院部分の家賃であったから、その全額が必要経費として算入されるべきであった。しかるに、被告は、右支払家賃九二四万円のうち、右居住用部分との面積で按分して算出した四万円のうち、右居住用部分との面積で按分して算出した二一二万五二〇〇円を必要経費から否認した。
(三) したがって、本件各処分には、右各必要経費の算入に関する所得金額認定を誤った違法がある。
3 よって、原告は被告に対し、本件各処分の取消を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2 同2の(一)のうち、原告が熊本相互銀行から三〇〇〇万円を借り入れ、富永建設に対して二九六五万円を支払ったことは認めるが、右支払が請負代金の前渡金であることは否認する。右は貸付金であった。
3 同2の(二)のうち、同ビルの一部を原告ら家族が居住用として使用していたこと、被告が右居住用相当部分の家賃としてその一部を主張のとおり必要経費から否認したことは認めるが、その余は否認ないし争う。
三 被告の主張
1 本件更正の適法性
被告は、別紙2<6>に記載のとおり、原告計算の特別経費のうち、債権償却特別勘定繰入額、支払利息及び地代家賃について、以下に述べる理由によりその全部又は一部を否認したものであり、その余の原告の事業所得金額決定についての被告の計算根基は、別表2に記載のとおりであるから、被告の本件更正は適法である。
(一) 債権償却特別勘定繰入額の否認について
原告から富永建設に交付された前記金員は、原告が富永建設に対してその事業資金として貸付られたものであり、原告が経営する医院の改装工事請負代金の前渡金として交付されたものではないから、原告の右債権は、原告の事業の遂行上生じた債権ではなく、したがって、その一部を債権償却特別勘定繰入額として必要経費に算入することはできない。
(二) 支払利息の一部否認について
原告主張の支払利息三九三万六六九三円のうち二一七万八四九一円は、右(一)のとおり、原告が富永建設に対して事業資金として貸し付けるために熊本相互銀行から借り入れた三〇〇〇万円に対する支払利息であったから、必要経費に算入することはできない。
(三) 地代家賃の一部否認について
原告が地代家賃であり必要経費と申告・主張する九二四万円の中には、原告ら家族の居住用部分に相当する支払家賃も含まれていたと判断されるので、右居住用部分と医院部分とを面積按分により算出した二一二万五二〇〇円については居住用部分に相当し、必要経費に算入することはできない。
2 本件賦課決定の適法性
原告は、昭和六〇年分の所得税の確定申告書を期限内に提出したが、被告の更正により原告が新たに納付すべきこととなった増差税額につき、被告は、過少申告加算税を賦課したもので、適法である。
3 本件通知の適法性について
前記1のとおり被告の本件更正は適法であり、昭和六〇年分の純損失の金額はないから、原告の純損失の繰戻しによる所得税の還付請求は理由がなく、したがって、被告が行った本件通知は適法である。
四 被告の主張に対する答弁
被告のした特別経費の一部否認の各適法性、並びに本件賦課決定及び通知の各適法性は争う。その余の主張に対する認否は、一の2に各主張のとおりである。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び承認等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1(本件課税の経緯等)の事実、原告が、熊本相互銀行から三〇〇〇万円を借り入れ、富永建設に対して二九六五万円支払った事実、二一七万八四九一円が右借入金に対する支払利息であつたことについては、当事者間に争いがない。
二 本件更正の適法性
1 債権償却特別勘定繰入額及び支払利息の一部否認について
(一) 前記当事者間に争いのない事実及び証拠(甲一ないし三、四ないし八の各1、2、九、乙二、六、八、一四の1ないし4、証人久保桂子、同冨永時義、同海悦清英)によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和五二年五月、妻桂子の父を代表者とする平安ビルが、原告の医院開業用に買い取ったビジネスホテルの一階部分を借り受けて改装し、原告の医院とした。しかし、昭和五八、九年によなると、医院の内部は白蟻が出て内部を侵蝕し始めたり、水漏れがあったりして老朽化し、診療にも支障を生ずるようになり、また、当初から未改装であった厨房も古くなったりしたため、原告夫婦は、その改装を考えるようになった。
(2) 桂子は、昭和五九年九月ころ、富永建設の副社長と称する木村松代と知り合ったが、その際、木村に問われるまま「今は資金がないが、資金の都合が付けば、病院の改装工事をしたい。」旨話していたところ、後日、木村から富永建設社長の富永時義を紹介され、同人から他の場所に医院を新築することを勧められた。原告や桂子は、当初、医院新築に心を動かされたものの、結局はこれを断り、現医院の改装工事で間に合わせることとした。
(3) その後、間もなくして、桂子は木村から医院改装工事資金について融資銀行が見つかったとの連絡を受け、更に昭和五九年一〇月ころ、熊本相互銀行の営業課長海悦清英が原告医院を訪れた。海悦は、融資の事前審査をするための資料として、原告から原告と富永建設との間の昭和五九年一一月一日付けの同改装工事についての工事請負契約書(請負代金は三二五〇万円とされいる。甲一。以下「本件請負契約書」という。)と右工事見積書(甲二)を提出して貰い、更に、同医院内部を見るなどして融資の審査を行った。
その結果、同銀行は、同年一一月二九日、三〇〇〇万円の融資を決定した(以下「本件融資」という。内一五〇〇万円については、利息について医師会との契約利率によることとしたため、各一五〇〇万円の二口に分けて融資された。)。右各融資の借入申込書の「資金使途」欄には「病院内部改装資金」と記載され、また、右貸付に関する金銭消費貸借契約書二通の各「使途」欄にも同様に「病院内部改装資金」と記載された。
(4) 海悦は、本件融資の実行として、昭和五九年一一月三〇日、原告医院に内金二〇〇〇万円の現金を持参して原告夫婦に交付した。本件請負契約書には、請負代金三二五〇万円の支払方法については、契約成立時、内部壁工事完了時及び完成検査合格時の三回に分け、ほぼ三等分して支払う旨記載されていたが、原告夫婦は、冨永らから、来年になれば、建築資料が高くなるので今のうちに購入すべきであると勧められ、契約成立時として一〇八〇万円を支払えば足りるのに、海悦から受け取った右の二〇〇〇万円の現金をその場で全部同席していた冨永に手渡した。
また、融資残額一〇〇〇万円分については、海悦が、同年一二月五日、内金三〇万五四〇〇円を預金残高として留保し、これを差し引いた九六五万円を、桂子の了解のうえ直接富永建設に持参して交付した。なお、同年一二月末ころ、桂子は、木村から請負代金の追加支払を要求されて別途八〇万円を木村らに渡した。
(5) その後、富永建設は、原告医院一階にある厨房工事についてだけ改装工事に着手したが、その他の改装工事は一向に着工しようとしなかった。そのため、桂子は木村に度々施工を催促をしたが、木村から「図面とか寸法をとりにきたではないか。工事はみんな工場でしているから黙って見ていてほしい。素人には分からないので任せてくれ。」などと説明されて信用してしまった。
(6) 昭和六〇年春ころ、木村の兄住友英治と自称する人物がその妻を診療してくれといって原告医院に接近してき、桂子に、「富永建設は倒産寸前であり原告らは騙されている。力になって金を取り返してやる。」と甘言を交えながら話し、同医院のビルにあるビジネス・ホテルに桂子の費用でその妻と共に居座るようになった。
住友某は、その後昭和六〇年五月二日付けで桂子を抵当権者、冨永を債務者、原因を同月二日付け金銭消費貸借契約、債権額を二三五六万四〇〇〇円とする抵当権を冨永所有の土地に設定したとして、同月四日その旨の登記手続をしてくれた。しかし、右は三番抵当権の登記であり、昭和六二年一月二六日に第三者に転売された際に放棄を原因として末梢登記手続がされ、結局、原告にとって何ら債権回収の手段にならなかった。
(7) 富永建設は、同年九月一〇日に第二回目の不渡りを出し、同月一三日には銀行取引停止処分を受けた。そのころ、富永建設は、倒産処理のため一般債権者一覧表を作成したが、それには桂子が債権額一三一三万八六二九円の債権者として記載されていた。ただし、この表は原告らに交付されなかったし、そのころ、開催された債権者集会についても、原告らに対しては何ら通知は行われなかった。
(8) 昭和六三年三月一〇日に本件更正を受けたので、原告らは、そのころ税理士に相談したところ、税理士から、異議申立てのために、富永建設に交付した二九六五万円が建築資金であることを証する資料が必要と言われたので、桂子において、第三者に依頼して、「入院室建築資金として三〇〇〇万円を受け取った。」旨の念書(甲三。昭和六三年四月一九日付け)を冨永から取ってもらった。
(二) 以上の各事実、特に、昭和五九年当時、原告医院内部の改装の必要が生じていたこと、本件融資の際に、原告夫婦が、本件請負契約書とその見積書を申込先銀行に提出していたこと、同銀行も、融資決定の審査に当たり、同行員をして実際に右朽廃の程度等を見聞きさせて改装の必要を検討し、融資決定していること、本件融資の借入申込書及び金銭消費貸借契約証書のいずれにも、その資金の使途として「病院内部改装資金」の記載があること、富永建設はその後実際に改装工事に一部着手したこと、冨永作成の昭和六三年四月一九日付け念書の記載内容などの事実に照らすとき、原告が富永建設に交付した前記二九六五万円は、原告医院の改装工事請負代金の内金(前渡金)として支払われたものと認めるのが相当である。
(三) 以上に対して、被告は、請負代金の前渡金とは銀行融資を受けるための仮装手段であって、真実は貸付金である旨主張し、その根拠として以下のとおり、種々列挙するので検討する。
(1) 先ず、被告は、富永建設への第二回目の支払金が、原告の熊本相互銀行への第一回元利返済金分(三五万六九二七円)にほぼ相当する三五万円を差し引いた九六五万円あったこと(乙一四の1)をもって、右は原告が富永建設から自分の貸金の分割返済分として受領したものであるとして、原告が富永建設に支払った本件交付金を貸金であったと主張し、冨永もこれに沿う証言等をする(乙四、証人冨永)。
しかしながら、同銀行から原告に対する融資金として実際に支払われた金額は、諸費用合計四万四六〇〇円を控除した二九九五万五四〇〇円であるから(甲八の1、2、乙一四の1)、原告が富永建設に対して第一回の元利返済金三五万円を天引きして交付したとすると、第二回目の支払時には九六〇万五四〇〇円を交付しなければならないはずであるし、更に右貸付に伴う手続費用として一六万余円も右融資金から支払われている(乙一四の1)から、その残額はより少額となるべきはずであり、これでは、原告が富永建設に九六五万円を交付したことの説明がつかない。仮に原告が富永建設に同額を交付したことの説明として、富永建設の原告に対する借入金の第一回目の元利返済金が三〇万五四〇〇円(一〇〇〇万円-四万四六〇〇円-九六五万円)であると考える余地があるとしても、この場合は原告の融資銀行に対する元利返済金より少ない額を自らの返済受領分として天引きするということになり、これも取引上の経験則に反することになって理解し難い。
(2) また更に、被告は、原告医院の改装工事は着工されていないこと、本件請負契約書記載の請負代金の支払時期を無視してほぼ一時期に右代金の総額に近い二九六五万円が交付されていること、右契約書には設計図及び仕様書を添付するとの記載があるが文言どおりには作成されていないことをもって、原告から富永建設に交付された金員は事実は貸金であると主張する。
しかしながら、前記一に認定した事実及び証拠(証人久保、同海悦)を総合すると、原告医院の厨房については改装工事が着工されたこと、同医院の他の部分については、その後も改装工事が実施されていないが、桂子において度々催促をしており、それに対して、作業は工場でしているなどと説明を受けて信用したこと、二九六五万円がほぼ一度に交付されたのは、原告夫婦がこの種の取引に関して全く不慣れであって、今ならば建築資材を安く購入できるなどと甘言を弄されて、これらの購入資金にもして貰うため、銀行に早期調達をして貰って、前渡金として言われるまま渡したものであること(なお、右銀行担当者海悦も工事前に右のように一括支払するのを懸念したが、右建築資材の安価購入のためとの説明や桂子の父が同銀行の株主であったことなども考慮して、原告夫婦の要求どおり支払ったと認められる。)、本件請負契約書に設計図等が貼付されていないのは、木村が工事については進行に応じて原告夫婦の意見をとり入れて行っていく旨述べ、原告夫婦がこれを信じた結果であることがそれぞれ認められるから、右被告の主張も採り得ない。
なお、桂子は昭和五九年一二月ころに富永建設に八〇万円を支払っているが、証拠(証人久保)によれば、桂子は、追加支払を求められ、本件請負契約書上の請負代金が三二五〇万円であることも考慮して、八〇万円を工面し富永建設に渡したものと認められ、厨房改装工事について別個の請負契約を締結したものと認めるに足りる証拠はない。
(3) また、被告は、前記(一)の(6)に認定した桂子のために抵当権設定登記手続がされていたことを貸金の根拠として主張する。
しかしながら、右登記手続は、本件金員の交付時より半年以上も経過後の昭和六〇年五月四日付けであるし、証拠(証人久保、同冨永)によれば、右金員の授受に際してこれが金銭消費貸借の趣旨で行われたことを明確にする契約書又は領収書等は一切作成されいないことが認められ、これに前記(一)、(6)の抵当権設定及び登記の経緯に照らせば、右は被告の貸金の主張を十分に裏付けるものとは見がたい。
(4) 更に、富永建設の帳簿には右二九六五万円は借入金として記載されていたこと、昭和五九年一二月末ころ冨永が桂子から三〇〇〇万円の貸金返済計画書を受け取り、それに従って、昭和六〇年一月から同年九月に富永建設が倒産する前まで五、六回くらい元利返済金として二〇万円ないし三〇万円を桂子に手渡していたこと、冨永と桂子は、倒産当時、貸金の残高が約一六五〇万円であるとの話し合いをしたことを内容とする証拠(乙三ないし五、七)が存し、前認定のとおり富永建設が作成した一般債権者一覧表にも「久保桂子・一三一三万八六二九円」との記載があったことなどをも貸金の根拠として主張し、冨永証言中にも右に沿った部分もある。
しかしながら、冨永証言に従うと、桂子は、知り合って二、三か月も経たない木村を信用して、富永建設に借用証も担保もなしに三〇〇〇万円もの高額の金員を貸し付けたということになり、これはいくら桂子が取引に疎い人物だとしても不自然であり、また、返済計画書についても、これが熊本相互銀行から原告に対して交付されたもののコピーであったのか桂子の手書きによるものであったのか明確でなく(乙三、四、七も参照。)、かつ、重要な書類であるにもかかわらず、同証人は、これらを焼却したか紛失したと述べるなど、同証言部分は全体として不自然で信用性に乏しく、右返済計画書の存在自体極めて疑わしい。(なお、この点に関して、桂子の弟平金安博は、平成二年三月二二日の本件審査時の審査官の質問に対して、「桂子が昭和五五年ころから銀行から借りて人に金を貸すようになり、それが年々増えて二億円にもなり銀行に返済できなくなって現住所に転出した」趣旨の話をしているが(乙九)、右は遺産相続争いにからむ両者間の険悪な仲(証人久保)を考慮するとき、にわかに右の話を信用することはできない。)。
また、桂子は、冨永から昭和五九年内に二回に分けて二〇ないし三〇万円を受け取っていて(同証言)、貸金の返済金とまぎらわしいが、それは、木村への別の個人的貸金に対する弁済金であるとも述べていて一概に返済金ともいえないこと、富永建設の一般債権者一覧表は、その内容について原告らの了承を受けたものではない上、同社の債権者集会の開催について、原告又は桂子に何らの通知もされておらず、桂子は、その開催について一切知らされなかったことが認められる。
(四) 以上のとおり、原告が富永建設に支払った金員は原告医院の改装工事請負代金であり、その事業の遂行上生じた債権であると認められるから、被告が右支払金が貸金であることを前提にしてした債権償却特別勘定の否認、ひいては支払利息の一部否認は、いずれも実体に反するもので違法である。
2 地代家賃の一部否認について
本件ビルの二階部分を原告ないしその家族が居住用に使用していたことは、当事者間に争いはなく、被告は、原告の申告にかかる地代家賃九二四万円には、経費に含めるべきでない右居住用相当部分の家賃も含まれているので、右部分相当額二一二万五二〇〇円を否認したと主張する。
しかし、証拠(乙一〇ないし一三、証人久保)によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告及びその家族は、本件医院開業後暫くして、本件ビルに隣接して居住する原告の妻桂子の実父(同ビルのオーナー)母の要望に応じて、同父母の自宅に同居したが、子供の成長にともなって手狭になり、また子供らが個室を欲しがつた関係から、空室で倉庫代わりなどに使っていた本件ビルの二階部分を子供らが整理して居住するようになり、実父もこれを黙認していた。そのうち、原告夫婦もこれを利用するようになった。
(二) 右のような関係から同部分に相当する家賃は只であり、桂子も、平安ビルの実父に持参していた家賃は、医院部分に相当する家賃のみであると認識して支払っていた。
しかるに、本件更正後、原告が納税せねばならない事態になって、桂子は、所得税申告関係の書類を担当税理士から借り受けて閲覧したところ、これには地代家賃について、原告が平安ビルに支払った額よりも少ない金額が記載されていたため、実父と紛糾したあげく、税理士に説明を求めたところ、二階の居住用相当部分を控除したものだとの説明を受けた。
(三) なるほど、原告の所得税申告決算書によれは、確かに、昭和五七年度分については、その「地代家賃の内訳」欄には、賃借物件として「病室、自宅、看護婦室」との記載があり、賃借料欄には「一〇三二万円」とあるものの、その必要経費算入額記載欄には「九四九万五〇〇〇円」とあり、右同額が必要経費として申告され、また、昭和五八年度分については、賃借物件の欄は白紙であり、賃借料の欄には「一〇四四万円」と、同必要経費算入額記載欄には「九五四万円」とあり、同額が必要経費として申告されている(右各年度は、いずれも右差額を居住部分として分離除外して申告処理されたものと推測される。)。
(四) しかるに、本件の昭和六〇年度の前記内訳欄には、「病院」とのみ記載され、賃借料と右必要経費算入額の各記載欄には「九二四万円」と同額が記載されていて、前項のような差額はでていない。ちなみに、昭和五九年度分については、右の内訳の記載がなく、収支内訳書の中に単に「七六六万円」との記載があるのみである。
右事実に照らし、また右の賃料額を対比すると、本件昭和六〇年度の所得税申告中の必要経費としての地代家賃に関する申告は、原告が主張するとおり、医院相当部分に限ってのものとの疑いが強く、したがって、被告が本件更正において地代家賃としての必要経費について居住相当部分として一部否認したのは適法であったとは理解し難い。
三 以上によれば、被告のした本件更正、本件賦課決定及び本件通知は、いずれも取り消されるべきである。
四 よって、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担については行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川本隆 裁判官 八木一洋 裁判官 佐々木信俊)
別表1
<省略>
別表2
昭和60年分
<省略>